喉から手が出るアンチエイジングテクニック

私を突然襲った大病との戦いを通じて得た健康に対する心得を綴ります!!

新な難敵の発見!

 

主治医は私が緊急入院し病名を特定するための種々の検査をした時の

CTの画像から、もう一つの大きな疾患があることを把握したそうです。

大動脈解離と言う病気の治療に支障がでるような精神的不安を与えない

ようにと告知を遅らせたと、前置きして主治医が話を始めました。

腎臓へ分岐する血管の下から大きな瘤、(腹部大動脈瘤)が見つかって

います、直径6センチ長さ10センチもあるとのこと。

状態を見る限り、いつ破裂してもおかしくない危険な状況なので現在の病気、

大動脈解離の回復状況を診ながら出来るだけ早く治療の準備をしましょう。

との告知でした。

       続く

 

 

大動脈解離との戦い 3

 

私の治療は 約1週間点滴だけでベッドに寝たきりの状態が続きました。

人は怪我などで出血すると血小板の働きで傷口で血液が固まり出血が止まります。

その後、出血を止めた塊はカサブタとなって傷口を守り、癒えると自然に

剥がれ落ちてめでたく自然治療完了となりますが、

血管の中でも同じことが起こるのだそうです。

血管の内側が剥がれ傷が出来ると、これを知らせる物質が血中に現れるそうです。

すると傷の部分に血小板が集まって来て塊を作り傷をふさぎます。

外傷の治し方と違うのはここからで、血小板によって傷を塞ぐ塊が出来て血流

が阻害される状況になるとまた血中に違う物質が現れて今度はこの塊を溶かす

ように働くのだそうです。

A型大動脈解離の治療は人の自然治癒力を 利用して行われ、その回復状況は関係

物質を注意深く監視することで把握することが出来るそうです。

後は血管の裂け目が広がらないように血圧を厳重に監視して自然治癒を支援します。

こうして私は約1か月で回復しました。

解離を起こした部分は治っても傷口は残っており、少なからず血流を阻害して

いるはずですので定期的な検査は必須となってしまいました。

ところでこの入院期間中の検査でとんでもない病気が潜んでいることを主治医

から知らされたのです。

         続く

過去の出来事!

 

約30年前、兄が突然亡くなったのを思い出しました。

兄嫁が、いつもより起きてくるのが遅いので起こしに行ったら

床の中でもう冷たくなっていたそうです、隣に寝ていたのに気が付かな

かったのか と 兄嫁が周りから責められ、可哀そうでした。

普段の兄は病気に無縁の元気者で何年も医者に掛かったことがなかった

ことから変死を疑われて警察が入って大騒ぎでした。

町医者が死亡診断をしたのですが詳しい原因は分らず 急性心不全 と言う

ことになりました。

時間は流れ5年ほど前の年、今度は兄の娘(私の姪)が私と同じ病気

大動脈解離を発症したのです、48歳の若さでした。

私とは違い、運悪く手術の出来る病院にたどり着くまでに時間が掛かり、

手術の準備中に息を引き取ってしまいました。

私が病名を知らされたとき真っ先に兄と姪のことが頭に浮かんだのです。

この病気は血筋に関係があるのかな? との疑問を持ちました。

この疑問を裏付けるようなできごとが私の入院治療中に起きたのです。

                      続く

 

 

 

 

大動脈解離との戦い 2

 

看護師さん達の流れるような処置によって点滴やセンサーや管などの取付が

終わるころ、救急当直医がもう一人医師を伴ってベッドサイドに来てくれました。

こちらが今日からあなたの主治医ですよ、今までの経過はしっかり引き継ぎ

ました。先生の指示に従ってしっかり治療を受けて下さい。

あなたの目標は生きることに執着することです、それが何よりの回復力に

なるんですから、と 言ってくれました。

それから約1週間水もろくに与えられず寝たきりなりました。

看護師さんが入れ替わり立ち代わり訪れては色々な処置をしてくれて

本当に頭の下がる思いです。

入院1日目の夜、ベッドで一人きりになって嵐のように過ぎた今日の時間を

振り返る余裕のような気持ちが湧いてきたのです。

                       続く

 

大動脈解離との戦い 1

 

下降大動脈で起きた解離(B型)であったため、緊急手術は免れましたが過酷な

入院生活が待っていました。

救急病室からICU(集中治療室)に移された私は鼻から胃までの管、点滴の管、

自動血圧計、酸素濃度センサー、心電センサー、おしっこの管 など体中管と

配線だらけで身動きなどできない状態になってしまいました!

これで飲まず食わず1週間、点滴だけで過ごすことになったのです。

私が発症した病気は!

 

色々な検査を経て救急室へ戻ると当直医があなたの病名が特定できました。

この病気は私の専門ですよ!今は手術はしなくて大丈夫、必ず治るから頑張ろうね。

生きると言う事に執着しなさい。 との力強い言葉を掛けてくれました。

本当に嬉しい、この時ほど 生きると言う言葉を噛みしめたのは初めてのことでした

私を突然襲った病魔は 大動脈解離 スタンフォードB と診断されたのです。

血管は3層構造のパイプだそうで、解離とは一番内側の血液と触れている内層に傷

(裂け目)ができるとそこに血液が流れ込み内層を剥がして行き遂には血流を止めて

しまう恐ろしい病気です。

この病気は初期症状は全く無いのが特徴だそうで、発症するとアッと言う間に症状が

悪化するので特定が遅れると死亡に直結する本当にこわい病気です。

この後、さまざまな治療を受けていくなかで判明するいくつもの幸運が

私にはあったのです。

         続く

                  

 

 

 

最高の当直医!!

 

私が救急搬送されたのは日曜日の朝早くでした。

救急指定の病院であっても地方の病院では専門が小児科とか眼科医などが

当直していることもあり、到着後の病名特定の診察に手間取り、手遅れになる

こともあるなどの話を聞いたことがあったりして、私自身も何から何まで

不安を抱えながら痛みに耐えに耐えている状況でした。

しかし、私には3つ目の幸運が待っていたのです!

当日の当直医は近くの某大学病院から派遣で来ていた血管内科の専門医だった

のです。   先生曰く

痛くて痛くてかわいそうだけど、病名を特定するまでは治療できないから我慢してネ。

とのこと、でも一番痛いのを10としたら今の痛みはいくつになる?との質問には

答えようがありませんでした。

若い先生でしたが、てきぱきと周囲に支持を出し私はレントゲン室~CT室と

目まぐるしく移動し症状を突き詰めてくれていたようです。

先生の指示は基より看護師の方々の働きも素晴らしいものがあり、打てば響く!

連携プレーに私は救われました。

再び救急室に戻されると私より早くCTの結果が先生の元に届いており、私の顔を

見るなり、病名を特定したよ!これは私の専門です、必ず治るよ!頑張ろうね!

早く特定できて良かった~これより遅れたら危なかった と 先生の一言!

私にはもの凄く長い時間でしたが搬入から病名の特定まで約30分ほどの時間でした。

       突然、私を襲った病名は

                  続く